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江戸時代 前期

徳川幕府成立期(家康)

豊臣秀吉亡き後、関が原の戦いで勝利した徳川家康は1603年に江戸幕府を開く。さらに関が原の戦いで敵対した大名を次々と処罰し、難攻不落といわれた大阪城で徳川家に臣従しなかった豊臣家も大阪冬の陣、夏の陣を起こして滅亡させる。ここに戦国時代より続いてきた長い戦乱が収まり、これを元和偃武と元和元年に戦争が終結したことを表明した。

 

徳川幕府確立期(秀忠・光家)

徳川家康は1605年に将軍の地位を子の秀忠に譲り、自らは駿府に移り住んだ。これは徳川家が将軍家を代々世襲することを天下に誇示するためのものであった。  徳川幕府の組織は将軍に謁見のできる旗本と謁見の許されない御家人という武士がいた。また1万石以上の領地を与えられたものを大名と呼ぶが、大名を将軍家の親族を親藩、三河以来の家臣を譜代、関が原以降臣従した戦国大名を外様と分類し、特に外様大名の動向には注意を払っていた。  さらに徳川幕府では武士に対しては『武家諸法度』、朝廷に対しては『禁中並公家諸法度』、寺院に対しては『諸宗寺院法度』を定めこれを統治した。

 

文治政治へ(家綱)

徳川家康・秀忠・光家の3代まででは武力による武断政治によって支配をしていたが、4代家綱の頃から変化が生まれる。  武断政治が進められた結果、多くの大名の改易処分され、彼らに仕えていた家臣が職を失い、浪人となってしまった。これを憂いた兵学者の由比正雪は3代将軍家光が亡くなった直後に幕府の転覆を計画した。この計画は失敗したが、幕府は大いに動揺し、これをきっかけに浪人問題に取り組み、改易の原因となった末期養子の禁も緩和した。4代将軍家綱から転換された徳を以って治める政治方針を文治政治という。

 

江戸時代 前期の年表

1600年 関ヶ原の戦い
1603年 徳川家康、征夷大将軍に 江戸幕府開始
1605年 秀忠、2代将軍に
1614年 大阪冬の陣
1615年 大阪夏の陣(豊臣家滅亡)
1615年 武家諸法度(元和令)
1615年 禁中並公家諸法度
1623年 家光、3代将軍に
1629年 紫衣事件
1635年 武家諸法度(寛永令)
1651年 家綱、4代将軍に
1651年 由比正雪の乱
1665年 諸宗寺院法度

江戸時代 前期について学ぶことのできる施設

■特別城趾江戸城(環境省HP)
https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/his_01.html

■駿府城公園
http://sumpu-castlepark.com/

■大徳寺(臨済禅 黄檗宗公式サイト)
http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/

■妙心寺
https://www.myoshinji.or.jp/


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